「引屋さん、その手じゃあ仕事出来ないね!いてもらっても困るし、まだ車でも持ってたら違ったんだけどね。」
私の父親は工務店から軽トラを借りて仕事に行っていたのです。
辞めさせたかったための発言だったのに父親は残りの労災保険を使って車を買いました。
そのおかげで一様、首は避けることが出来ましたがこの件で母親との亀裂が大きくなり今でいう、家庭内別居というお互いが無視しあい話さなければいけないことは子供通して伝言ゲームのようになりました。
父親はこの頃から酒、煙草、パチンコが酷くなっていきました。
家にお金を入れる額が少なくなっていきます。
父親も正直、しんどかったでしょう。
いらないと言われた工務店で不自由な手を使ってバカにされながら肩身の狭い思いしながら働き頑張ったのですから。
母親も貯金が無くなり、その上いつ父親が辞めさせられるかもしれない。
もし辞めさせられても左手が使えない大工をどこの工務店が雇ってくれるでしょうか?
そんな状態で子供3人を育てなくてはならないのですから。
どっかで二人ともストレスを沢山感じていたのでしょう。
私が小学生低学年の頃はとても貧乏でした。
母親は働いていたので私に毎日のように
冷蔵庫に卵、キャベツ、ちくわが入っているから何かして食べなさい。もしくはインスタントラーメンでも食べなさい。
これが唯一の日常会話だった。
おやつはなく、一番酷いときは片栗粉に砂糖を入れ、お湯でとろみがついた飲み物をおやつとして食べていました。
この時はとても美味しかった😁
話を戻しますが母親と父親の心の距離はどんどんと離れていくばかりで
子供にもお互いの悪口を言うようになっていきました。
この頃の私はそれが嫌で子供心に「何故、一緒にいるのだろう。」と不思議でした。
続く.....。